先日愛犬が死んだ。15歳と11ヶ月だった。
15年以上前から一緒に暮らし始めた、ラブラドールレトリーバー。
最初は外で飼おうということで、犬小屋まで用意したけど、外に出した途端「くぅーん」と鳴くので結局家の中で飼うことになった。
ちなみに愛犬が犬小屋で寝たことは一度もない。
結局、立派な犬小屋は15年以上庭に放置されたままだった。
若い時は、本当にやんちゃなやつで、散歩に行くのも一苦労だった。
散歩中に他の犬に会えば、いきなり走り出すし、吠えたりもした。
いきなり走り出して、草むらに飛び込んだりもしていた。
もちろん、家の中でも暴れ放題だった。
家のいたるところに、やんちゃだった頃の傷が残っていた。
僕がソファーで寝ていたら猛ダッシュで飛び込んでくることもあった。
本当にラブラドールレトリーバー?
お利口さんのイメージとは程遠い性格の持ち主だった。
よく暴れ、よく吠える犬だったが、人懐っこい性格はとても可愛らしかった。
やんちゃな性格だったけど、家族みんな本当に可愛がっていたのは紛れもない事実だった。
夏、川に連れて行けば、飛び込んでよく泳いでいた。
それは本当に楽しそうだった。
一度も教えたことがないのにスイスイと泳ぐ姿はやはり立派だった。
冬になれば、こたつにもぐりこみ寝ていた。
「お前は猫か」ってくらい本当にこたつで寝るのが好きだったんだ。
家のピンポンがなればすぐに庭に飛び出して、一生懸命吠えていた。
近所には迷惑なくらい大きな声でね。
食欲は旺盛で基本的には何でも食べた。
お菓子もあげたし、肉もあげた。
誕生日にはケーキやケンタッキーまであげた。
美味しそうに食べる姿は僕たち家族の笑顔につながった。
さいわい、食べ物が原因での大きな病気はしなかった。
そのうち親父がが転勤になり、単身赴任をすることになった。
親父は2週間に1度は実家に帰ってきたので、愛犬もその度に飛び回るように喜んでいた。
愛犬はどうやら親父が1番好きだったみたいだ。
順番で行けば、親父、母さん、僕ら兄弟という順番だったんだろう。
親父が単身赴任している時、僕と弟はよく喧嘩をしていた。
年頃の男の喧嘩なのでそれなりの迫力はあったと思う。
でも、その度に愛犬は
「喧嘩するなよ」
そう言わんばかりに僕に飛びかかってきた。
いつもそこで喧嘩は終わった。
飛びかかるのは決まって兄である僕の方だった。
どんなに弟が悪くても、僕に飛びかかってきた。
当時の僕は高校生だったので弟より力が強かった。
それを愛犬もわかっていたんだ。
そして、決まって僕の顔をペロペロ舐めた。
「肌がつっぱるからやめろよ」
と言って顔を背けても舐めてきた。
単身赴任中の親父の代わりをしていたのだろう。
しっかりと家族を守ろうとしてくれていたのだろう。
それからしばらくして、僕は大学進学のため県外に出た。
その1年後、親父が単身赴任を経て実家に戻ってきた。
それからしばらくして、大学生活が終わり、僕が実家に戻った頃には昔ほどの元気はなかった。
大人になったって感じで、落ち着いた犬になっていた。
もちろんまだ走れるし、ジャンプもできる。
ただ昔より寝る時間が多くなったような気がしていた。
この頃から家のピンポンが鳴っても吠えることはなくなったし、玄関に人が来てもよほどのことがない限り吠えることはなくなった。
それでも呼んだら来るし、散歩も好きだった。
家で焼肉したら、おすわりをして、よだれを垂らしながら待っていた。
この姿は昔から全く変わらなかった。
それから何年か月日が流れ、妹が結婚し、子供が生まれた。
生まれたばかりの甥っ子をよく連れてきた。親父や母さんにとっても初孫だった。
主役は愛犬から甥っ子に変わってしまった。
甥っ子が生まれたことは非常に嬉しいことだったけど、なんだか少し寂しい気分になった。
多分愛犬もそれは感じていたんだろう。
甥っ子がいたづらしても決して吠えたり、噛んだりすることはなく、ただそこに居たんだ。
親父も母さんもそれには気づいていたはずだ。
愛犬に対しての愛情は、決して衰えることはなかったんじゃないかと思う。
むしろ僕たち兄弟が全員家を出てからは、愛情は愛犬に注がれていたんだから。
そうしているうちに僕も結婚した。
実家が近かったため、嫁と実家によく行った。
その時する焼肉で、肉をあげるのは嫁になっていたけど、相変わらずの食欲っぷりを発揮していた。
でもしばらくしてから後ろ足が弱くなった。
自分で立ち上がって歩けるけれど、よろつくことが多くなった。
目も白くなった。
どうやら白内障らしく、あまり視力はないとのことだった。
壁にもぶつかりながら歩くようになった。
この時、愛犬は12歳だった。
それでも庭にはトイレをしに自分で行くことができた。
吠えることもできた。
食欲は変わらなかった。
そして、僕にも子供が生まれた。
子供が生まれてから僕は愛犬に触れる機会が減ったと思う。
いや、明らかに減った。
愛犬も感じていたはずだ。
でも家に帰る時は玄関まで見送りに来てくれていた。
よろよろの足で歩きながら。
そして、今年の冬。
愛犬はとうとう大好きだったこたつに入らなくなった。
入らなくなったんじゃなくて、入れなくなったのが正解かもしれない。
後ろ足が弱って自分で中に入ることができなくなったんだ。
その頃から実家で同居するためのリフォームの話合いが頻繁になり、親父、母さん、僕、嫁はリフォームに向けて動き出した。
そして、今年の7月くらいからリフォームが始まった。
2階から工事が始まったので、愛犬はまだいつものリビングにいた。
お盆を過ぎた頃、愛犬の後ろ足は完全に弱ってしまい、自分で立つことができなくなった。
それと同時に愛犬はいつものリビングから部屋を移した。
リビングのリフォームが終わり、愛犬の部屋をリビングに移してから少しした頃だった。
僕が実家に行った時、いつものように寝ている感じだったが、どうやらご飯を食べていなかったようだ。
今考えれば、最後に食事をしてから一切食事をすることはなかった。
最後にあげたのは肉、卵の黄身、チーズケーキだったそうだ。
元気が無く、横たわったままだったので親父と母さんが病院に連れて行った。
どうやら風邪を引いているらしい。
そして、この衰弱した体が復活することは考え難いということを医者に言われたとのことだ。
その次の日からは点滴をした。
栄養分は点滴だけだった。
それから僕は毎日実家に顔を見せた。
1週間前に実家に行った時よりも痩せて、明らかに元気がない様子だった。
僕はびっくりした。
元気になっていつもの感じに戻ると思っていたから、あまり深く考えていなかった。
親父が弟に連絡したようで、弟も県外から実家に帰ってきた。
妹も帰ってきた。
そして家族が集まった。
医者からは1週間もたないかもしれないと言われた。
熱があったのか意識がないようで、朦朧としていた。
「死んでしまうのかな」そう思った。
次の日からなぜか涙が止まらなかった。
通勤途中も昼休みも涙が出た。
仕事が終わってからはすぐに実家に行った。
1日目はまだ意識が朦朧としていた。
2日目、僕が行くと意識があった。
目を動かして、顔を起こそうとする仕草があった。
もちろん顔を動かすことはできなかったが、そうしようとしたのは確かだった。
そして僕はこう言った。
「明日も来るからな!」
すると力強い目をして僕を見つめた。
僕は確信した。
大丈夫、これから元気になると。
そういう目をしていたんだ。
まだ生きるっていう意思のこもった命のある目を。
だから僕は安心して少し喜んだ。
もう、心配することはないんだと。
いつものように実家に愛犬が寝ている生活に戻るんだと心の中でそう思っていた。
でも現実は違った。
次の日も仕事が終わってから実家に行った。
愛犬は昨日よりも元気はなかった。
それでも息はしていたし、意識もあったように思う。
僕の方を見ては必死に息をしていた。
なぜか、それに安心した。
そして親父とビールで乾杯した。
この時かあさんは仕事に行っていたので僕と父さんのだけだった。
嫁と子供は隣の部屋で一緒に寝ていた。
ビールを飲み始めてから少し経ったくらいだろうか。
愛犬の息が少し荒くなった。
荒くなったと思ったら呼吸をする感覚が長くなっていった。
僕は確信した。
もう、死んでしまうんだと。
それから僕と父さんは愛犬のそばにいた。
涙は止まらなかった。
そして、だんだんと呼吸の感覚が長くなっていった。
その時、母さんが大急ぎで仕事から帰ってきた。
それから一息して愛犬は死んだ。
母さんの帰りを待っていたかのように本当に一息だけして安らかに眠りについたんだ。
本当にネジを巻いたおもちゃが静かに止まるようだった。
みんな泣いた。
嫁も泣いた。
父さんも母さんも。
そして妹も来た。
もちろん泣いた。
16年間ありがとう。
本当に。
体をきれいにしてあげて、いつものように寝かせた。
安らかに眠っている姿を見ると、頑張って呼吸をしていた姿は本当にきつかったんだなと思った。
少し前までの寝顔そのものだった。
いろんなことを思い出しては泣いた。
ありがとう、ありがとうと泣いた。
次の日、弟が帰ってきた。
県外から仕事を休んで帰省した。
僕も父さんも母さんも仕事を休んだ。
愛犬の死で仕事を休むなんて何事だ!と言われるかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
賛否両論あるかもしれないが、仕事より大切なことはたくさんある。
その一つを優先した結果だ。
なんて言われようが、15年間一緒に過ごしてきた愛犬は紛れもない僕の家族だ。
仕事を休むことに抵抗は全くなかった。
そして、愛犬を火葬しに行った。
その火葬場で「虹の橋」という詩を見た。
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泣いた。
火葬場でも。
「虹の橋」を僕は信じようと思う。
火葬場の帰りに家族でご飯を食べて、家に帰った。
愛犬が死んでから約3ヶ月が過ぎた。
今年も終わろうとしている。
いつもよりは暖かい12月だ。
去年着ていたセーターに愛犬の毛が付いてた。
少し暖かい気持ちになった。
ありがとう。
僕が遊んでいる時も飲んでいる時も寝ている時も愛犬は6倍以上のスピードで年を取っていた。
一緒に過ごした日々を僕は忘れることはないだろう。
今のところ、僕の人生の約半分は一緒にいたんだ。
忘れるわけがない。
家族6人で過ごした日々を忘れるわけがない。
愛犬が死んだ日、それは僕が一番泣いた日。